2018年08月05日
あやしくない「13の月の暦」の魅力
磁気のコウモリの月カリ11日、10ポプ、青い惑星の嵐(KIN179)
「13の月の暦」は青い自己存在の嵐の(1996)年のカレンダーから使ってきたので、キャリアとしては22年になる。
キャリアを自慢したいわけでもなく、知識があると誤解されるのも避けたいが、それなりに使い続けてこれたのはどうしてかを振り返ってみたい。
それは「13の月の暦」の魅力を振り返るということだが、最初にお断りしておきたいのは、この暦へのアプローチの仕方はいくらでもあるので、わいあーにとっての魅力は「13の月の暦」の魅力の一面でしかありえないということだ。
例えば、わいあー的には非科学的な説明は、鵜呑みにはしないし、頭から否定もできない。分からないものは、保留にするという考え方なので、「13の月の暦」や時間の法則にまつわる様々な情報の中にも、銀河連盟、フナブ・クから、28日周期は自然の周期といったことに至るまで、完全に受け入れているわけではないものが少なからずある。
そこに魅力を感じる人やアプローチ・見解も、単に自分の感性や理解力とは違うというだけなので、否定しない。つまり、色々な魅力があっていいけれど、オカルトを鵜呑みにしたくない わいあーにとっての暦を使い続けたい魅力ということで、4つ書き出してみる。
1.別のものさしが持てる
カレンダーというと、世間一般で使っているのはグレゴリオ暦(G暦)。社会的な時間、共通の日付認識のものさしとしては、それ一つでもよいが、そうではない別のカレンダーを併用してみると、グレゴリオ暦の良さ(一年の正確性など)だけでなく、人工的な時間・効率性を追求する Time is Money(時は金なり) の意識による環境破壊や人間性の喪失といったことに気づかされる。
Time is Art(時は芸術なり)。日の出、日没、その空の色、風の音や感触、その一歩、大地・引力とバランスをとる身体・体幹、マインドフルネスのように一つ一つをじっくりと味わうと、その当たり前さの中に奇跡的な美しさ・有り難さがあることに気づかされる。そうしたもう一つの価値観に気づかされ、思い出させてくれ、別のものさしに気づかせてくれる入り口が「13の月の暦」だと思っている。
2.もっとリズミカルになれる
G暦の1月は31日、2月は28日、大の月と小の月があるけれど単純に交互に並んでいるわけではなく、ひと月の日数の違いは四半期の日数の違いにもなる。(1-3月:90日、4-6月:91日、7-9月:92日、10-12月:92日)
不思議なもので、そんな不揃いでもひと月とか四半期を同等の期間として受け入れている。
それで不自由でもないわけだが、もっと周期的なカレンダーを選ぶこともできる。
G暦では、1日、一週間の7日単位は周期的なもの。「13の月の暦」では、(赤・白・青・黄)色の4単位(4日、4週、4月、4年周期)、銀河の音の13単位(13日、13月、13年周期)、太陽の紋章の20単位(20日)、月の28日周期といった期間も意識することができる。
周期は可変スケールなので、例えば1単位のキンは、1日にも、1月にも、1年にも、その他あらゆる1単位に拡大・縮小して捉えることができる。そんな時間の捉え方は「13の月の暦」ならではのものだ。
3.シンクロが増える
シンクロニシティ、偶然の一致が増えると書くと、非科学的なことは鵜呑みにしないのではなかったかと言われそうだが、不思議現象ではなくても、「13の月の暦」を使うと、意識する数字や関係性が増えるので、シンクロも増えるのは当然だと思っている。
例えば自分の銀河の署名のキン番号(自分の場合はkin56)が含まれた車のナンバープレート、番地、部屋番号、乗り物の番号など、暦を知らなければ意識もしない数字がシンクロとして目に飛び込むはず。「13の月の暦」の知識が深まれば、ホゼ博士のkin11、ボロン・イクのkin22、パカル・ヴォタンのkin60やkin190、あるいは自分の類似・反対・神秘のパートナーのキン番号、色の関係などなどフックになりうる情報はいくらでも増える。
もしピンとこない方は、「赤いもの」、すぐに目を閉じて、自分の身の回りにどんな「赤いもの」があるか思い出してほしい。目を開けて周りを見渡すと、赤いものが目につくはず。それまでもそこに存在していたものが意識のフックで再認識される、意味をもつ、そうしたことがシンクロだと思っている。フックが増えればシンクロも増えるのが当然ということだ。そのシンクロをどう意味づけ、活かすかは自分次第。
4.生き方に主体的になれる
「13の月の暦」には毎月の問い、銀河の音や太陽の紋章のキーワードがあり、それらに自ら向き合うことで、自分自身の時間の感じ方=生き方の意味合いを見つめ、自由に意味づけることができる。
銀河の活性化の正門だからハードだと感じたいなら否定しないが、太陽系が属するこの銀河系へと意識を向けることができる銀河意識への通路として何を選ぶかは各自の自由だ。「13の月の暦」は占いではないというのは、キンにしても色や音、紋章、GAP、PVの数字、その他の情報すべてにキーワード的意味合いはあるとしても、それをどのように解釈し、向き合い、受け止め、生きるかは自分自身が選ばなければならないという自由と責任を負っていることなのだと思う。
自分という範囲にしても、状況にしても、可変かつ移ろうものなので、その時・その場で選択は揺れ動いていい。ただし、選択の主体は自分自身なので、その結果責任は自分で引き受ける。自ら引き受ければこそ、選びなおすこともできようというものだ。
”あやしくない”「13の月の暦」の魅力として、理屈っぽい わいあーなりの見解を書いてみた。特に「マヤ」が出てくると、現代人の理解を超えたオカルト的魅力が語られることも多いと感じるが、不思議でも怪しくもない魅力もあると思うのだ。
結局のところ、暦・カレンダーである。使うだけで幸運になるなどと期待しすぎることなく、楽しい使い方は各自で見つけてほしい。
時間の冒険は各自の自己責任だとしても、その冒険を水晶の円卓のキンの宮廷で共有することも暦の面白さなんだからね。