2005年01月17日

震災を忘れないということ

青い水晶の嵐の年 共振のサルの月ダリ8日
KIN174 5・魔法使い

今日は阪神大震災から10年目。
新潟中越大地震、インド洋大津波だけでなく、相次ぐ台風の爪あとなど、自然の猛威を見せつけられているような昨今だけに10年という節目の意味も大きいと思うと同時に、いったい何を思えばよいのか、この日を忘れないということの意味について自問していた。



9.11にしてもそうなのだが、ある出来事を忘れないということには2つの側面があると思った。

一つは、犠牲者を思うということ。亡くなった方々、被災により様々な変化に直面せざるをえない方々を思い、その方たちに意識・行為を向けることだ。時間軸でいうと、過去のことやそれが積み重なった現在が対象になる。
特に亡くなった方々に対しては追悼という過去へのフォーカスが主張されがちだが、生者→死者への意識だけではなくて、故人が今の自分たちに何を思うだろうということも意識すれば、あまりにストイックになり過ぎることなく、いまの自分たちを精一杯輝かせることへとつなげることが大切なのだろうと思う。

もう一つ、今の僕のような第三者的な立場の者にとって、さらに重要なのは過去の出来事に学び、将来に生かすために、いま何をするかを思うことだろう。
戒めなければならないのは無意識のままでいるということだが、意識できたとしても、過去を明らかにすることや、目指していく未来を描くのは、個人の知識や経験、判断では自ずと限界がある。
限られた情報に振り回されないよう客観的な判断材料を集めることに努めて、最終的には拡大された自分の感覚を信頼して判断するし、時とともに判断の変更もあることを思いながら、関心の対象とするものには責任を持ちつづけていたいと思う。



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